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メリークリスマス〜
もう終盤ですけどね。
クリスマス本番は25日なのに、24日で完全にテンション上げ終わった派の人間は私です。
さて、今日も相変わらず自分のことを書きます。
私は妹が1人いて、幼い頃から高校生までは基本家では2人でいることが多く、外に出れば部活があり、それがなければ友達といる という生活を送っていました。
短大に出て一人暮らしをしてからも、基本学校とバイトの生活で休みがあれば彼氏や友達と過ごすというのが当たり前でした。
今も人と生活をしているので、基本1人ってないんです。
そのため基本的に、誰かがいる状態で生きてきたんですね。それは1人が寂しいからとかではなく、気づいたらそうなっていたという感じだったのですが、今日珍しく1人で家にいる時間が長くダラダラと過ごしていたのですが、ひとつも落ち着かなかったんです。誰かに会いたいと思いました。
それは、クリスマスという日だからなのでしょうか。
もともと不活発なアウトドア派なので、家にいるということ自体が苦手なのもあるのかもしれませんが、そこで思ったんです。
もしかして、自分って世で言う寂しがり屋ってやつなのではないか、と。
活発でフレンドリーな寂しがり屋なら困らないのですが、生憎正反対のため人を誘えないんです。
声がかかればほぼ絶対の確率で参加するのですが、自分から行けないんですよね。
忙しいかな? とか 用事あるのかな? とか 自分から誘って楽しませられるだろうか? とかまぁ余計なことを考えるのです。
あと、断られた時にどんなテンションで返したらいいかわからないっていうのもありますね。
ちょっと1人でいるの寂しいなって時に、
会いたい!会お!
って無条件で言える関係の人間がほしいですね。
社交的のプロみたいな人ってすごいですよね、尊敬します。
今この瞬間に会いたい人って聞かれて、頭に浮かぶ人は4人いますね。結構いた。
1人は妹、1人は長野の友達、1人は今バイト中面白い人、1人は忙しそうな人です。
全員現実的に会えそうになかったです、残念。
気を紛らわすのにみかん食べてたら5個食べちゃいました。肌が黄色くなりますね。冬あるあるです。美味しいのでもう1つ食べます。では。
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自分を愛すとか、自分を大切にするとか、これをこうしてこうやればいいって方法があればいいのにとつくづく思います。
私の記憶の中での話にはなってしまうのですが、保育園や小学校あたりで、
お友達と仲良くしましょう だとか、
思いやりを持って行動しましょう だとか、
他人に優しくすることが正しいみたいな事は教わってきた記憶はあるのですが、自分自身に対しての気の持ち様って教わってこなかった気がします。
もしかしたら、飲み物を飲み込む事とかと同じように、教わらなくても人間の潜在能力として、自分を愛する力というのは備わっているものなのかもしれないですけどね。
まぁ、自分を大切にする力、守る力は備わっているのか。自分が大怪我をしないように転ぶ時は反射的に手をつくし、物が飛んできたら避けますしね。
それが無意識に反射としてできる時点で、脳が自分自身を守るべきものとして認識してるのに、なぜ自分のことを好きになれないし大切にできないのだろうか。
まぁそもそも反射って無意識にやってるわけだから、脳が認識してるとかはそもそもないのかもしれないですけど。
でもやっぱり自分で自分のことを好きな人とか大切にできている人ってかっこよく見えるんです。
自信があって堂々としていて、そんな人になりたいと私は思います。
今の私は、何かあった時に必要以上に自分を責めがちなとこがあります。
自分が割と理不尽に嫌な思いをすることがあっても、感情に従うよりかは諦めがちです。
それはきっと自分のことを好きではないからなのと、そもそも他人に期待をしていないからなのかもしれません。
他人に傷つけられたとき、ムカつくとか悲しいというよりは、この人はその程度の人間だったのかと諦めて終わります。人としての期待をせずに、もうこの人はその程度の人間だというモードに入るので、同じ人に何をされても、何も思わなくなります。
でも、そう思ってるだけで実は自分で気持ちを押し殺してるだけでムカついたり悲しんだりしているのかもしれません。
自分自身を好きになれていないが故に、自分に何をされても諦められるのだろうと思います。
私は自分のそういうところを問題視もしていなければ、直したいと思った事もありませんでした。
でも少し考えて、これでは私の目指すところの
"自信があって堂々としている女性"
にはなれないよなと気づいたんです。
だから自分の好きなところを少しずつ増やしていって、何か嫌なことがあったり酷い扱いを受けたりしたら、
「私の大好きな私になんてことしてくれてるの!」
と、悲しんだり怒ったりできる人間になりたいと思いました。
どんな小さいことでも自分なりに頑張った時には、
「よく頑張った自分!偉い!」
って思いたいし、
時間かけてメイクした日とか、時間かけて選んだ服を着た日とか、
「上手にメイクして気に入った服きて1番可愛い!」
ってウキウキしたいし、その方が人生何倍も楽しいと思う。
誰かに存在価値がないと言われたとしても、ブスだと言われたとしても、しんどい扱いを受けても、落ち込んだり諦めてそれを受け入れたりせずに、
「私の好きな私を悪く言うやつ扱うやつ最低!」
ってなれたら絶対もっと楽しいし自信持てる。
そうなると自然に、必要以上に自分で自分を卑下するような言葉も使わなくなると思いますしね。
自分を楽しくするのは自分次第だよな〜と。
全然関係ないけど、バーガーキングのハンバーガーが大きくてびっくりしました。
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この人の考え方って素敵だなとか
この人みたいな考え方憧れるなとか
たまに思うことがあるのだけど、その中でもこの人のようになりたいと思ったことがあって、そのことを書いてみようと思います。
信じる とはどういうことだと思いますか?
と聞かれた時にあなたならなんて答えますか。
私は面白味のない人間なので、
信じて疑わないこと とか辞書的な意味が1番初めに出てきました。
信じるという言葉自体はよく聞いたりするけど、そこまで深い意味を考えて受け止めたことが無いので、聞かれてもよくわからないからそうなるんですけどね。
そんな中、私に衝撃をもたらした芦田愛菜さんの考えがあったんです。
「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて、だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど、でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました。」
結構話題になっていたので、もしかしたら知っている人も多いかもしれないですが、私これを聞いた時もう言葉が出なくて。
やっぱり小さな時から色んなことを経験して、表現をして、たくさんの感性に触れて生きてきた人って凄いと思って。
凄い という言葉で表現するのもしっくりこないのですが、どう表現していいか言葉がみつからないレベルで感銘を受けました。
この方のもつ感性を知りたいと思いました。
芦田愛菜さんは本を読むのが趣味で幼い頃から相当な量の本を読んできたそうです。
だからこそ、この言葉選びが出来るのかと思って、やっぱり本を読む事って大切だなと思いましたね。
それだけではなく、彼女の生きてきた中での経験でその感性が出来上がったのでしょうけどね。
その日から私の尊敬する人物が、芦田愛菜さんになりました。
自分が生きてく中で、辛くても楽しくてもどんな経験でも学ぶ姿勢って大切だなと、色々な考えとか意見に触れて、多方面から物事を考えられる様な人間になりたいと思った出来事でしたね。
今回すごく長くなりましたね、ここまで読んでくれてたら、大変ありがとうございます。
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どうも、こんばんは。
前回よりも何も考えずに文を作ろうと思って、本日はMr.Childrenを聴きながら書きます。
私は一般的な女の人と比べると少しめんどくさい女なので、好きな人とか彼氏ができると自分の好きなところを聞きたがる節があります。
毎回同じ答えでも全然満足するので、ただの気休めに過ぎないのですが、その答えによっては少し複雑な気持ちになることもあります。
突然ですが、あなたは、
見た目(顔やスタイル)を褒められるのが好きですか?
中身(性格)を褒められるのが好きですか?
私は断然中身派なのですね。
見た目を褒めることって簡単で、初対面の人同士でも褒めようと思えばできます。だから中身を褒められるとより一層嬉しいのかもしれないです。
もちろん見た目を褒められることもとっても嬉しいです。自分なりの可愛いを頑張って作り上げて、それを他者からの目線でみて可愛いと認めてもらえるのって最高じゃないですか。
可愛いとか綺麗とかって結局はそこみたいなとこありますしね。
でも、それと同時に、経年変化してその可愛いが消えた場合、あなたにとっての私の魅力はなくなってしまうのだろうと悲しくもなります。
と、思っていたのですが、
見た目派の人にその話をしたら、中身だって変わるじゃん!とのお言葉をいただきました。
生きていく過程でいろんなことを経験して、性格だって長所だって短所だって変わっていく可能性だっておおいにあるわけだし、今が変わらない人のが珍しいでしょ?とのこと。
だから、見た目を褒められるのも中身を褒められるのもその人の魅力なのは変わり無い。とのこと。
一言一句覚えてるわけじゃないけど、そんな感じで話してました。
すごく納得できる話でした。
今の自分の長所だって、もしかしたらこの先なくなって、別の長所が出来ているかもしれないし、短所が長所になっている可能性だってある。
何にせよ褒められることに対して、悲観することなんて何も無いし、素直に嬉しいなら嬉しいでいいのです。
自分のひねくれ具合を痛感した出来事でした。
素直で見た目も中身もできた人間になれるように貪欲に生きていこうと思いますね。
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ありがたいことに私の周りには私に刺激をくれる人がいて、その中に流石だなと思う文章を書く人がいる。
その人に感化されて、文章を書いてみようと何度も書いては消してを繰り返していたけれど、誰に宛てた文章でもないのだから好きなようにすればいいと気づき、思うように書いてみようと思う。
基本的に他人に上手に頼るということは苦手なのだが、この前軽くSOSを求めた時に、
大丈夫?
と聞かれた。
当然のように私は、
大丈夫だよ。
と答えて、その時思った。
基本的に 大丈夫? と聞かれる時は大丈夫ではない。大丈夫だったらSOSを求めたりはしない。
そもそも 大丈夫 とは何なんだろう。
本来の意味としては、「強くてしっかりしている・あぶなげがなく安心できるさま」 である。
大丈夫?と聞かれるような状況では大抵この意味には当てはまらないであろう。
その大丈夫ではない状況を無視して、大丈夫と答えている時点で、無理をしているということになるだろう。嘘をついているということになる。
それなのに大丈夫と言ってしまうのは、今自分が無理をしてまで守りたい何かがあるからだと気づいた。
守りたいという言葉を選んだが、何か大層なものではなくても、相手への印象とかプライドとかその程度のものだ。
あなたに嫌われることよりは 大丈夫
弱い人間と思われることよりは 大丈夫
そういう意味では今回のケースの 大丈夫 は本心だ。
自分の状態よりも、他者から見た自分を意識しすぎている。自分の短所の1つである。
もう少し他人に上手に甘えることができる人間になりたい。
甘え上手な人は、自分を大切にできる力が優れていると思っている。
甘え上手な人は最適な言葉選びですんなり助けを求めることができるのだろう。
生きていく中で適度に自分を優先し、大切にできる人間になりたいと思った。